格ゲー村勇者理論の横に積まれる死体

村勇者の話で思いついたので書いておきます

ゲーセンは村勇者になれる最高の場所だった

家族内で一番
学校の友達の中で一番
その1,2歩上のような場所がゲーセン
知らない人達の中で自分の価値を大きく感じられる場所
そこで仲良くなった人と別のゲーセンへ行ったり
順調なステップアップを経て果ては地域、全国で戦うレベルに

で、全国に届かなかった人含め
当時の気持ちよさを歳を取ってから言うのが

ゲーセンは村勇者になれるのが良かった
今はネット対戦や動画の影響で勘違いが出来ない ※要約


みたいな言葉で
これは正しい面もあると思うが
どちらかというとファンタジーものによくある勇者一行や
そこと絡みのあった冒険者パーティーの語りに近いと感じていて

興味がわいて100円投入してプレイ開始後ほどなく乱入
スコスコにされてゲームの良さを微塵も感じられないまま終了(※)
遊びに来たゲーセンで生存競争に巻き込まれて淘汰された人もいたと思う
※ここで極僅かの狂人が生み出されたようにも思える

そういった人達が可哀想という話ではなく
村勇者の横には死体(環境に耐えられなかったプレイヤー)が多く積まれていた事が想像に難くない
という話

おそらく村勇者になる為には
多くの経験値と自己肯定感、適度な視界の狭さが必要だったと考えられ
村勇者は前線プレイヤーを生み出す効率的なレベリングの仕組みとも言えそう

今を取り巻く環境と効率的なレベルアップ

じゃあ今はどうなのよって考えると
ネットの普及でめっちゃ尖ったおっさん以外も見れるようになり
「村勇者になる事だけが楽しみじゃないよ」※要約
みたいな多様性を感じる環境に変化しつつあると思う

が、効果的に強くなる方法は
ゲーセンでの村勇者システムを封じられて以降大きな変化は無く
家庭用の最前線プレイヤー達と直接やり取り(※)して上手い事吸収していけ
みたいなものが多い
※格ゲーおじいちゃん化現象
 やる気のある若者をしばくけど目をかけてくれたりする事がある

唯一あるとしたらSNSと社会性フィルターが機能し始めて
素行は目に余るけどゲームの腕は本当に凄いタイプが表で長居出来なくなった事だろうか

村勇者時代に都合の良かった視界の狭さに代わるものを見つけられていないけど
現在の格ゲー方面は人との関わりの中で多くの経験値と自己肯定感を得る事が出来るようになってるように思える


タイトルの移り変わりもあって要領の良さが高く評価される時代だと思うので
おっさんだらけの環境的にも1タイトルの寿命的にも
より優れたレベルアップ方法の発見を期待したい

個人的にはこの辺りはもっと深く考えたいし
おっさんを駆逐する若者ももっと見たい

死体は増え辛くなってるかもしれない

・楽しみ方の多様性が見えやすくなった事
・メインがゲーセンから家庭用に移行した事
・最低限の社会性が必要(※)になった事
・直近のタイトルならイベントやDiscord等コミュニティ活動に触れられる事

みたいな部分もあって参入はしやすく
弱いと死体になるしかない状況もマシになってるかもしれない
なにより死体の問題はどちらかというとゲーセンに紐づいた話だと思っている

少し気がかりなのは
最低限の社会性が必要になった事で
誰とも関わらず格ゲー強くなりたいタイプには厳しい時代かも
ノーチャンスではないと思うし応援はしたいが...
ついでに
素行が悪いタイプのゲーマーは大会に出辛いだけで色んなゲームで笑ってそう

今後の村勇者

当時の村勇者は再現出来ないけど
村勇者に求めてたものは分解出来る事だと思うので
村勇者システム的なものは今後出来上がってくるんじゃないかな

個人的にはコミュニティ側で出来上がるとゲーセンの代替物感が強く
ランク制限大会やコミュニティを絞っての大会は既にあるので
ゲーム側でも何か用意される事を願ってます


おわり

ここは見ないでいいです

いわゆるツマハジキプレイヤーが活躍するところは見たいけど
効率的に劣った部分があるのか
それとも狂気と熱量の分散先が多く出来てしまったのか
はたまた歳を取って丸くなってしまったのか
最近だと大会で活躍してる人で危ない人は格ゲーだとあまり見かけないなーと思ってます

あと、村勇者の視界の狭さ問題は今後解決されなさそうだから
勘違い感と自己肯定感を強める為に
POGOフォロワームーブ(※)に倣う部分はありそう
でもあれ傍目から見ててめちゃくちゃ怖い事してるなって思わなくもない

※例:FABさんのツイート引用

初めてで30分で必殺技出すは才能ある
格ゲーのセンス感じるね
すぐコンボできちゃうかもしれん